エッセイ

神さまがくれた時間-1

アルバムタイトルについて

タイトルに「神さま」ってつけるの、実は最初抵抗があったんです。大体にして、私はクリスチャンでもカトリックでもないし、どちらかというと、大学も曹洞宗「駒沢大学」だったし、父方は敬虔な奈良五条(薬師寺とか唐招提寺のあたり)の浄土宗信者だったし。でも「仏さまがくれた時間」っていうのも、ちょっと意味あいが変わっちゃうし、「神さま」になったわけです。つまり「人智を越えたなにかのチカラ」っていうのかな。それを「神さま」って呼ぶことにしたんです。

そんなことで「神さまにはプランがある」っていう本を描きました。私はこの言葉が大好きです。映画「サイモン・バーチ」にそんな言葉が出てきたのが、印象的でした。

サイモン・バーチは1年生きられないだろうと言われた身体全体が小さく生まれてしまった障害児。「自分がこのような身体で生き続けるのは、神さまにプランがあるからだ」と言い、神との関係をずっと問い続けました。サイモンがもっとも愛したのが、親友ジョーの母親であるレベッカ。彼をいつも理解し、自分の子供のように愛してくれました。ある草野球の試合でサイモンが打った球がレベッカに当たり、彼女は亡くなってしまいます。親友ジョーも失い、サイモンは自分も神も恨みます。ある日、バスの事故で水中の子供を、サイモンは自分の体を小ささを活かして、助けます。それが原因でサイモンは亡くなりますが、彼のプランは果たされたのでした。

そのころから、私の中で「神さま」という言葉がしっくり来るようになりました。
私が筋萎縮硬化症(ALS)と診断されたころには、この病気はあまり知られていなかったので、「ルー・ゲーリック病」とも言われていました。大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースで史上最高の一塁手と言われた彼も、ALSによって亡くなりました。彼の有名なファンとのお別れの言葉に「私はこの世で最も幸せな男です」というセリフがあります。
もうひとり私が尊敬もし、身近に感じた天文学者がいます。それがスティーブン・ホーキングです。彼は、20世紀最高の天文学者のひとりとして、平易な言葉でも宇宙の謎を解き明かしました。当時5年ほどで死に至るとされていたALSでありながら、50年近く天文学の研究をし、大いに進歩に貢献しました。ホーキングは無神論者を貫いていましたが、「私は宇宙を研究すればするほど神が近くなると感じる」と言いました。

と、人のことばかりを書いていてもしょうがない。著書を「神さまにはプランがある」というタイトルにするまでには、こんな人たちとの出会いもあったわけです。

もともとはすぐものを忘れてしまうタチなので、記録のためにA4に数枚自分の記録をつけたのが、始まりです。どんどん書き足すうちに7-8ページになりました。それを友人に見せたところ、「面白いよ」って言ってくれた人がいます。その言葉に勇気づけられて、出版を考えました。

別の友人は出版会社の方を紹介してくれましたが、「出版界は今大変なんです。もし自主で出すのであれば、可能かもしれませんが、100万円以上はかかるでしょう」そのころは、今のように電子出版もなければ、PDFさえ一般的でなかったので、諦めた方がよいと考えました。

ところが、アルバイト先にある編集者が間借りしており、彼女に相談してみると、「とりあえず原稿を見せて」と言ってくれたんです。年に2回出版が義務付けられているらしく、そのシリーズで私のストーリーを使ってくれるという、思っても見ない展開になりました。そこからほとんどを書き直し、体裁を整えました。ところが、「本当に私は筋萎縮性側索硬化症なんだろうか」という疑問が残り、病院での再検査を申し出たのです。病院は20年前のカルテを保管してくれていました。10日間ほどの検査の結果、運動ニューロン疾患には違いはない。運動ニューロン疾患の最悪のものが筋萎縮性側索硬化症です。私の場合、進行はするが、至極遅いので、ほとんど死の恐れはない。このまま普通に暮らして良いという診断でした。

 

そこで、また全面的に書き直しをし、そして全国出版にこぎつけたのです。編集者の女性は細かい文法的なことを修正する程度でした。ただし、夫婦が離婚に至った理由があいまいだということで、その部分を書き足しました。しかし、元夫にその旨を伝えると「事実だとしても、それだけはやめてくれ」という反応でした。しばらく考えましたが、元夫の希望を聞き入れました。

DVというのはその中にいると案外わからないものです。自分が悪いかもしれないって思ったり、あきらかに暴力であっても、それで人に助けを求めにくいものなのです。本を出版してから10年以上経ち、やはりあれはDVだったと思うようになりました。今回「神さまにはプランがある~続編」で初めてそのことを書きました。

さて、本「神さまにはプランがある」のエンディングは夢について書いています。そして書いた以上、自分の夢を実現したいと思ったのが、レコーディングでした。それもニューヨークでのレコーディング。なぜニューヨークかというと、地下鉄やバスが張り巡らされていて、車が必要ない事。免許も運転もしたことのない私には移動手段は大事です。そう決まったら、あとはニューヨークに知り合いを見つけること。これは小学校の同級生から紹介してもらったニューヨーク総領事館の医務官という最高の繋がりを見つけました。そしてもっとも難儀な資金作り。これも偶然幼稚園からかけていた保険が満期になり、手元にまとまったお金がはいったことです。

それでも90%の人、特にレコーディング経験者からは「それは無茶だ」と言われました。ニューヨークでも「どういうつもりでニューヨークでレコーディングを考えてるの」って怒られたこともあります。でも帰国するころには、「いいものができたね」と言ってくれました。


これは私の人生の中でも、もっとも奇跡に満ちたできごとです。そして何度聞いても、すばらしいミュージシャンやディレクターとの出会いがあったこと、そして邦人医療ネットワークとも知り合えたことが、私にとっての「神さまがくれた時間」だったのです。

この辺りに詳しいことは「神さまにはプランがある~続編」に書いています。
https://midoriikeda.com/essay/614
ぜひ、アルバムを手に取りながら、CD作成への奇跡のようなストーリーをお楽しみください。

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