エッセイ

神さまにはプランがある~続編 -20

20.小学校にはあまり記憶がありません。

小学校2年までは九品仏小学校だった。おそらく入学式はドキドキしたのだろうが、あまり記憶がない。あまり積極的に友人をつくることもなく、といって、いじめられた記憶もなく、授業にも記憶がない。家に帰ってはおとなりの八百屋さんのおうちに上がりこんで、子どもたちと過ごしていたように思う。

ある日いつのまにかできた遊び仲間のひとりが、探検をしようということになり、玉川浄水場まで行った。きっと玉川浄水場だったと思う。中には入れなかったが、それが本当に玉川浄水場かもわからず、でも大きな水色の水槽がたくさんあったように思う。そこまでは良かったが、帰り道がわからない。泣きながら大きな道に出て、暗くなりかけた道路を延々と帰った記憶がある。母は驚いたようでひどく怒られた。迷子というのはあまりいい想い出ではないので、遠くに勝手に行くのは、やめておいた方が良いと思った。だから、今でもあまり遠くに行くのは好きではなくて、家の中で安全に閉じこもっている方が好きだ。

小学校2年に父の転勤で横浜の日吉の社宅に引っ越しをした。となりも父の同僚の家族で、おない年の男の子がいた。その男の子は、毎日ピアノを練習していて、「月光」のような難解な曲を、いかにも簡単そうに弾いていた。それもしっかり雨戸を閉めて。だから、それは岩戸の中で音楽を奏でる神か何かのように思えたのだ。松井道隆くんはおそらく私の初恋の人かもしれない。毎朝おててをつないで、下田小学校に行くのは、ちょっとうれしかった。キャベツ畑を抜けて、狭い坂を抜けて、バス通りを歩いて、神社を抜けて、橋を渡って、そして銀色の円形校舎に通った。

当時、横浜では最先端の公団団地が、下田小学校の周りにはあって、最新式のおしゃれな公団に住む子どもたちが集まってきていた。子どもたちも九品仏より少しおしゃれな感じがあって、みんなが生き生きしていたように思う。それでも小学校の思い出はあまり記憶にない。おともだちも適当にいただろうが、あまり記憶がない。でも6年生の時の担任はとても印象的だった。そしてその担任の生徒たちが、後になってメーリングリストで繋がり、今ではもっとも近しい友人となっている。

さて、兄は気が向かないと私とは遊んでくれなかったが、時々、植物採集に連れて行ってくれたりした。もっとも好きだったのはモデルガン遊びだった。そのころモデルガンは本物そっくりで、兄は3丁から5丁くらい持っていた。私のお気に入りはちょっと大きめのルガー。触り心地が良かった。時には、小さな火薬を入れて撃ち合いもやった。

家にはふたりでいることも多かったが、兄はよく怖い話を即興で作って聞かせてくれた。それはそれは怖くて、夜は眠れなくなるほどだった。

ステレオセットというのは父が買ったときは、家族はその前に座布団を並べて、視聴版のそのシートを聞いた。汽車が右から左へと走っていく。4人は首を右から左に向けて、感心した。まるで線路に寝転んでいるような気分だ。それからはクラシックからポピュラーまで全集を父は揃えて、私たちはレコードをセッティングする技術も習得し、兄とふたりでよく音楽を聴いた。兄はそのうちに指揮棒を手に入れて、真ん中に立って激しく指揮棒を動かした。私は雨戸を全部閉めて、ステレオの前に布団を山のように重ね、そこで、ひとりで聞くのが好きだった。もっともお気に入りはドヴィッシーだった。いちばん絵が見えてくるから。

家族向けにはレクチャーというのを毎週やった。何かを調べて家族に発表する。兄はしっかり調べて高等なレクチャーをやっていた。なにせ5歳上だから、私には理解できないようなことも発表することができた。こういうとき、私は松下幸之助を調べて発表したりする、ずるい子だった。それは父は大喜びだった。兄はそんなとき、いつも妹のことを嫌いになったに違いない。よくいじめられもした。

近所にはまだまだ自然も多く、春になれば土筆を採り、アメリカザリガニを沼で採り、冬になれば薄氷を壊すのが楽しみだった。だんだんと友人もできて、なかなか家に帰らないことも多かったように思う。でもあまり覚えていない。私にとっては、小学校は抑圧された時代のように感じる。寒くても子どもはスカートで、鼻水を垂らしてもあまり温かい服装ができない。お風呂は温度が熱くても入らなければならない。時間になると真っ暗な部屋でひとりで寝なくてはいけない。何をするにも、親の許可が必要で、何かずっと抑圧されていたイメージがある。なぜだろうか?それほどうるさい両親ではなかったはずだが。父はだんだんと仕事が忙しくなり、以前のように私はなつかなくなっていた。そのことも原因なのだろうが、この頃の父の顔をあまり覚えていない。記憶があいまいなのだ。

そして中学校2年の時に、父は日吉の近くに家を建てた。初めてのマイホーム。自分で設計図を引き、もちろん専門家ともやり取りをしたのだろうが、何よりも自分の家を持てることを楽しみにしていた。子供部屋も作ってくれた。玄関は吹き抜けでカラーのペンダントの明かりが2階の天井からつり下がるおしゃれな作りだった。でも家族はなぜか父の夢を他人ごとのようであまり喜ぶ様子も見せなかった。そのころから父と母がうまくいってはいないことをうすうすと感じるようになっていた。

by Midori

 

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