エッセイ

神さまにはプランがある~続編-19

19.幼稚園で学んだこと

幼稚園ではお弁当が食べられなくて泣いていたことぐらいしか記憶がないが、こんなこともあった。

ある日、青い目のおともだち、グリーンちゃんがイギリスからやってきた。みんな遠巻きにしてみているだけで、誰も話しかけようとはしない。そこで、先生がグリーンちゃんだから、みどりちゃんときっとおともだちになれるだろうと思ったらしい。一緒に帰りなさいと言われた。何も話せないまま、何回か一緒に歩いた。クリスマス近くになって、グリーンちゃんから赤と白のスティック型のキャンディをいただいた。外国映画でしか見たことのないようなシロモノで大切にいただいた。その後、クリスマスパーティに家にお呼びしたいと言う。グリーンちゃんに連れられて、家に行くと、庭にはプール、広い芝生がある豪勢なお家だった。玄関には見上げるような大きなクリスマスツリーが飾られていた。子守りというおばさんが部屋に通してくれて、テーブルセッティングされたテーブルに座ることになった。途端にトイレに行きたくなって、トイレに案内された。そこに入ると、いつものトイレの座面は、空中に浮いており、よじ登らなくてはならない。UFOを見上げる人類の図を想像してもらいたい。子どもには初めて見る洋式トイレは、それほどの高さに見えた。登ってみると足元の座面はツルツルしていて、ともすると、白い陶器の水が溜まった奈落の底に落ちてしまいそうになる。必死の覚悟でパイプに両手で捕まるが、どうにも用を足せるような姿勢ではない。とうとう時は間に合わずおもらしをしてしまった。泣きながら席に戻り、そうそうに家に帰りたいと申し出た。その後グリーンちゃんからのお誘いはなかった。私の初めての外交は大失敗に終わった。

卒園式の日、いつも「おまえのかあちゃん、デベソ。電車に轢かれて死んじゃった」としつこく、私を泣かせていたいじめっこが、人形を持って私のところにやってきた。「一緒に遊ぼう」と言われ、訳の分からないまま一緒に遊んだ。「実はあの子はみどりちゃんが好きだったみたいよ」と先生に言われた。そう言われても、私は彼のおかげでいつもとんでもなく哀しい思いをしてきたのだが…男子というのは奇怪な生物だ。なるべく近づかない方が、安全だろうという、学びを得た。

幼稚園にはオルガンがあった。ともだちが一緒に弾こうというので、猫ふんじゃったを教えてくれた。それは楽しくて、ほんの16小節くらいの部分を飽きもせずに何度も何度も弾いていた。どこまで速く弾けるかとか、生き生きと弾いていたんだと思う。しばらくして母から「おともだちの〇〇ちゃんはピアノを習ってるけど、みどりは習いたい?」と聞く。よくわからないが、きっとこういう時は「うん」と言っておいた方が、丸く収まる。その翌週から近くのピアノの先生のお宅におけいこに通うことになった。6歳のころだったと思う。ピアノの先生のおうちはきれいで、ピアノのお部屋にはたくさんお人形さんもあって、それに先生もやさしくて、居心地がよかった。

家には足ふみオルガンがあった。だけど、足を踏まなくてはならないが、足が届かないことと、音量は膝を広げて調節するので、小さい私にはなかなかまともに音が出なかった。そこで、紙鍵盤をひろげて練習をした。どんな音が出ているのかはわからないけど、間違うということがなかったので、それなりに楽しく練習した。楽譜には指番号がついていたが、その番号が音番号だと勘違いしていて、それを直すのにまた一苦労した。

そのうちに、その姿を不憫に思った父が、本物のピアノを買ってくれた。一流の調律師に選んだもらったものらしい。足を踏まなくていいし、膝も広げなくてよいものだから、楽しくバンバンと弾いていたら、どうもそれは騒音というものらしく、ピアノはカギをかけられてしまって、許可がないと弾けないことになった。ピアノにはおまけがついていてトッポ・ジージョという当時流行っていたネズミのフィギュアだった。フィギュアのスタンドをピアノの上で引っ張っていたら、ピアノに傷がついた。またえらく怒られた。

このピアノは仕事を始めて、いろいろなピアノを触ってきたが、いったん音楽から遠ざかる30代までずっといちばんのお気に入りのピアノだった。離婚後、ピアノを持ってこれないため、中古楽器に売られてしまった。でもきっとどこかで誰かに弾いてもらっていることだろう。

さて、よく叱られた私には、押し入れの中という暗い場所への逃避行が救いになっていた。誰にも邪魔されずに夢見られる場所であり、暗い蔵にも相当するその場所は、自虐的な性格にはぴったりの隠れ場所でもあった。
そしてもうひとつ私のお気に入りの暗い場所が、お母さんのスカートの中だった。石鹸の匂いのするエプロンを通りこすとそこは暗くて、何かなつかしい温かい場所だった。母はご近所と話をする間、私をスカートから引っ張り出すのがいつも一苦労だった。

私があまり困った子だったので、両親はこの子は知恵遅れじゃないかと思っていたらしい。でも当人はごく自然に常識にもとらわれず、誰にも媚を売ることもなく、自由を謳歌していたのだと思う。

あまり積極的ではなくとも、大家さんの子どもたちとも、幼稚園のママ友の子どもとも、適当に社会的交流を続け、時には探検と言っては迷子になり、時には兄に泣かされ、父の友達たちにもかわいがってもらい、幸せな幼少時代だったように思う。

ある日、いつもいじめられていた兄が、ふたりだけのお留守番の日、めずらしく遊んでくれた。座卓をひっくり返して、お舟ごっこをしていた時、自分で足を滑らせてひっくり返った。歩けなくなって、母親の背中におんぶされて病院に行った。どうも尾てい骨骨折というのをやったらしい。兄はひどく怒られた。その時、お兄ちゃんのせいじゃないと言えない自分が今でも恥ずかしい。そんな話を兄にしたら、兄も私を風呂場に閉じ込めたことを反省していた。もう60年も前のことだから、執行猶予かな。兄弟というのは他の誰とも共有していない想い出を持っていて、面白いものだ。

by Midori

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