エッセイ

神さまにはプランがある~続編-1  

わたしはどうも死神に好かれるタチらしい。
死を覚悟するのは2回目だ。
2回目ともなると、初体験でない分、少し慣れた感がある。

  1. ボタンのかけ違い

2007年カゼット出版から拙著「神さまにはプランがある」を出版した。これには多くのラッキーがあった。

なにせ、私は記憶力が悪いので、自分に起きたことを書き留めておこうと思った。気楽に半生をエッセイにしてみたものの、その先、どうして良いかわからず、気楽に出版できたらなぁ…なんて、思った。当時は電子出版はあまり一般的ではなかったから、関係者の話を聞いて、出版がいかに高額で覚悟のいることなのかを知った。書店で本を販売するには権利がある。出版社などにはその権利を維持するだけの苦労もある。

諦めていた時に、アルバイト先である編集者の女性に、ちらっとそんな話をしたら、彼女が「原稿見せて」と言う。年に2回出版するシリーズが彼女の出版社にはあって、それに使ってくれると言うのだ。降って沸いたような話。

それから原稿を新たに書き足したりして、体裁が整っていった。彼女が編集してくれるのは、細かい部分のみだった。ほとんど書きあがろうとしていたが、最後に出版する以上、自分が本当に「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」なのかどうかを、再検査したいと、彼女に申し出た。彼女は快く認めてくれた。

もうひとつ、彼女から指摘を受けたのが離婚に至るまでの経緯だった。
実はこの本ではその部分は詳しく書いていない。まるでラブストーリーのように描かれている。

架空の話ではないので、そのことで離婚相手にも影響を与えることになる。そこで、離婚した元・夫を呼び出し、話をした。「こんな本を出すんだけど、あなたのことも書いてあります。読んでみてください」
数日後、彼から連絡があり、「これだけはやめてくれ。事実だとしても、読んだ人間が気分悪くなるだろうから、書かないでくれ」と言われた。
数日、悩んだが、全国出版と言うこともあり、彼にとって都合の悪い部分は割愛し、再度確認をしてからの出版になった。


多くの方には読んでいただいたが、自分ではこの部分がずっと気になっている部分だった。
今回、その部分について、「出版と言う形は取らない」と言うことで、お話をしようと思う。

19歳、大学の入学式で、まるで稲妻に打たれたように恋をした私は、大学ジャズ研の1年先輩と23歳で結婚をした。
もちろん最初は結婚生活に慣れない事ばかりだったが、友人の多い夫はいつも仲間が家に集まり、賑やかで青春を謳歌する毎日を送っていた。バンド仲間や草野球仲間、そして飲み友達がいつも周りにて、本当に楽しい毎日だった。

きっかけは彼が花屋に勤めているときに、指の腱を花鋏で切って、病院に救急車で運ばれたところから始まる。何度か治療で診察を受けるときに、ふと看護師さんに「うちのカミ さん、手の付け根がヒラぺったくなってるんですけど」と気軽に声をかけた。看護師さんに「それは一度病院に連れて来てください」と言われ、翌週、病院にとりあえず行ってみた。私の手の様子をみて、神経内科の医師が次々と検査を始めた。
そして検査入院が決まった。それが私のALSとの戦いの始まりとなった。

ただ、楽しく毎日を過ごしていた夫婦に、いきなりの試練が訪れた。

私は自分の命があまり長くないことを覚悟するようになった。
主人は飲みつけた店に行っては、友人たちにその話をし、助けを求めていたようだった。
友人たちの中には「これがみどりちゃんの最後の旅行になるかもしれない」と言うことで,思い出に海外旅行をプレゼントしてくれる友人もいた。

仕事もあまり無理はできないと言うことで、私は働いていた花屋を辞め、しばらく静養することにした。しかし貧乏な夫婦にはそれほどの金銭的な余裕はなかった。

一方、姑は舅を亡くして、九州でスーパーの中にあるお好み焼き屋をひとりでやっていた。
夫は母親に私の病気をことを相談したようだった。

ある日、「おふくろがこっちに来て、一緒に暮らすって言ってるんだが、いいか?」
「いいよ」ひとつ返事で答えた。


姑は大柄で社交的、とてもずっと専業主婦をやっていたとは思えない人だった。
私の実の母とは真反対の性格だった。

当初、姑と嫁はとても仲良く、一緒に買い物に出かけたり、料理を教えてもらったりと、幸せな毎日を送った。

以前から計画していた花屋を開くという予定は、姑がやっていた九州式のお好み焼き屋に変わっていた。ノウハウは姑が知っており、資金も出してくれることになった。

そこからボタンの掛け違いが起こっていった。


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