エッセイ

和泉宏隆さんとの想い出

赤坂にレオナルド・ダ・ヴィンチというクラブがあり、数年間そこで弾き語りをしていた。
トリオとボーカルのメインバンドには、袴塚淳さんや田村博さんとドラムには清水キンさんで素晴らしいメンバーだった。夜中にはピアノソロが入っていて、和泉さんはそのひとりだった。まだ大学を出たばかりで仕事を探しているというので、赤坂のPOPOという私がお世話になっている店を紹介した。
 
そこの経営者のサチさんは和泉さんを気に入って、すぐにレギュラーメンバーになった。袴塚さんもPOPOに紹介した。袴塚さんはスクエアの初代ピアニスト、和泉さんもその後のスクエアのピアニストになったが、お互いはあまり面識がなかったそうだ。
 
私はPOPOを辞めて、和泉さんとはそれ以降あまり会うことがなかった。10年以上経ち、私はコンピューターのユーザーサポートの仕事をしていた。Windowsがまだ3.1の頃で、インターネットさえあまり盛んでなかったころだ。Mr.Windowsと呼ばれる青年がいて、わからないことがあると彼を頼っていた。そんな彼が「僕、T-スクエアのコピーバンドのベースやってるんです。今度、一緒にライブ行きませんか?」と見せてくれたプログラムに、「あれ?このピアノの人知ってるかも」
 
T-スクエアのライブは熱狂的でとにかくかっこよかった。楽屋には入れなかったけど、和泉さんに渡してくれと昔の写真と名刺をガードマンに託した。翌日、和泉さんから電話があって、「お久しぶりです。その折には本当にお世話になりました。次のライブはご招待しますから、ぜひいらしてください」ということで、日比谷野音で再会を果たすことになった。

和泉さんと再会して、すぐに古巣の赤坂POPOにふたりで行った。オーナーのサチさんも和泉さんに再会できて大喜びだった。その後和泉さんはPOPO、そして店の場所と名前を変えてパナシェに、定期的に出演することになった。
 
和泉さんからはT-スクエアから独立したいという相談を受けた。もっと自分のサウンドを追求したい、特に生ピアノの美しい響きを活かしたソロかバンドを作りたいという。そこで、友人のベーシスト岡田治郎、ドラムには諸藤一平を紹介した。このバンドの初めての音出しを今のように覚えている。これが本当のプロのサウンドなんだと、感激した。
 
「バンドでもお世話になったので、よろしければ、グループレッスンに参加されませんか?レッスン料はいりませんから」という言葉に甘えて、和泉さんのご自宅のピアノ部屋でのクローズドなレッスンに参加することになった。3-4人ほどの友人たちが集まったレッスンだったが、教えてもらったことは貴重なことばかりだった。レッスン後には和泉さんのお勧めの音楽をいい音で聞かせてもらった。なかでもLars Janssonは「私の一番好きなピアニストです」と熱く語っていた。
 
あるとき、もうひとりのレッスン生とふたりで、ご自宅で手料理にご招待いただいたことがある。3日前から煮込んだという豚の角煮。一生で一番おいしかった。
今までふるまっていただいた手料理の中で、ベストシェフのひとりが和泉さんだ。もうひとりが根岸吉太郎監督。

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