エッセイ

「日活ポルノ、いや、日活ポルトです。」

 六本木の旧テレ朝通りに映画の「日活」がスポーツクラブを作りました。当時、スポーツクラブは日本ではあまりなく、会員制、それもかなりの高額な入会金などが必要でした。
 ここにはサウナやラウンジもあり、トレーニングエリアのチーフトレーナーには米国から帰ったばかりの女性が、日本ではまだほとんど知られていなかった「エアロビクス」を取り入れ、かなり充実した内容のスポーツクラブでした。


 ここでの”ハコ”がもっとも印象も深く長い期間弾き語りをしました。約4~5年いたと思います。
 ”ハコ”とは一か所で営業日は毎日出演するもの。”トラ”というのもありますが、こちらは誰かの代理でテンポラリーに出演するものです。

 このラウンジは70名ほど入るミュージッククラブで、ここで毎日のように演奏していました。カラオケもなかったので、お客様の伴奏もよくしました。パーティもよくありました。

 ”日活”ということと、テレビ朝日のすぐ近くという地の利もあり、芸能人がよく来ました。
 ビート・たけしさんもまだテレビに出たてのころでしたが、貸し切りパーティをされて、当時から関係者の方々がたけしさんをカリスマ視していました。
 森進一さんはまだ大原麗子さんとご結婚されていたので、よくラウンジでダンナさまのサウナが終わるのを待っていらっしゃいました。
 宍戸錠さんもよくいらして、体を鍛えてらっしゃいました。気さくな方でした。ヒデとロザンナの故・ヒデさんは、「俺のピアニスト」と言って、仕事後に他のクラブに連れていってくださることもありました。
 ジョニー・大倉さん、立川談志さん、おすぎさん、古谷一行さん、数えたらきりがありません。日活の忘年会もここでやることがありました。
 おかげさまでいろいろな芸能人にお会いし、伴奏もさせていただくこともありました。
 
 日活の当時の社長、根本 悌二氏も足しげく通って来られて、たいへんお世話になりました。亡くなられたことさえ知りませんでしたが、私にとっては、本当に素敵な方でした。特にラウンジで働いていたモデルのふたりとは、仲良くしていたので、3人にポケットマネーで旅行をプレゼントしてくださったりと、心遣いを忘れない方でした。

 従業員の方もみなさんと仲良くなったので、受付から皿洗いから何からなにまでお手伝いさせてもらいました。もちろん進んでさせていただきました。

 失敗もいっぱいありました。その中でも受けつけの電話対応で、「はい、日活ポルノ・・・日活ポルト六本木です」って口が滑ってしまったら、上司にエラクおこられました。

 

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