エッセイ

センイチ・サブロク・ジャズエイト

 なんじゃ、これ?って思いますよね?これ、楽譜のタイトルです。
「1001」「306」「Jazz8」の3冊にずいぶんお世話になりました。

 大学ジャズ研に入って、先輩からこの3冊は持っていた方がいいと言われました。ただし、著作権を取っていないから普通の楽器屋さんには売ってない。そこで、口コミで置いてあるという楽器屋に買いに行きました。
 何せ、このころ、つまり今から45年ほど前、スタンダードジャズの楽譜はほとんどなかった。あっても輸入ものか、ピースだったりして、今の黒本とか赤本とか青本なんてなかったから、曲を知るにもそれぞれ数100曲入っているこの楽譜は貴重だったんです。

 大学入った頃はコードを知らなかったから、Cはドミソだよって教わってから、この本を片っ端から弾いて練習した。もう時間を忘れて、歌いまくって、弾きまくってました。何せ、これ、歌詞まで書いてあるんですから…

 ただし、マイナスのマークやら、サンカクやら、時には串団子みたいなマークまである。それにmには大文字と小文字がある。まして♯とか♭が括弧の中に入っていたり、入っていなかったりする。これはかなり頭を悩ませた。「これって何ですか?」って先輩に聞いたら、それぞれ教えてくれた。最初のうちは、とにかくわかるコードだけ、つまり7とか書いてあるのは無視しちゃうとか、そんな感じで練習して、半年もしたらだんだん慣れてきた。

 そのころは弾き語りが主だったから、ピアノはコードさえ弾ければいいと思ってたから、正しいかどうかなんて、あんまり気にならなかった。
 少しだけ慣れてきたころに、弾き語りの仕事が入ってきた。八重洲口のパブでの仕事だったかな。まだジュースしか飲めない女子大生だったけど、拍手ももらって、えらく気持ちよく帰ってきた記憶がある。
 なぜだかわからないけど、次々に仕事は来て、もう、学業どころではないので、大学は2年生で中退して、ほとんど毎日のように音楽の仕事してたと思う。

 弾き語りするときは、楽譜の上に鉛筆で自分のキーのコードを書いていた。面倒くさかったけど、少しずつ慣れてきて、そのうち書かなくて弾けるようになってきた。歌いっぱなしだと時間が持たないので、間奏はなんとなくアドリブっぽいものを弾いていたと思う。まあ、大したことはできなかったけど、いつのまにかホテル・オークラやら赤坂東急ホテルやらそんなところで仕事もするようになった。

 このころはカラオケってシステムがなかったから、まだ各ホテルやクラブには生音楽があったんですね。歌いたい人がいれば、赤い「歌謡曲のすべて」って本で伴奏したのね。「1,2,3、はい!」みたいなね。

 そのうちにハコという仕事が来るようになった。つまりお店に毎日いるピアニストね。その中でももっとも記憶に残ってるのが、六本木の日活映画の日活がやってるスポーツクラブの中のクラブだった。ここはテレ朝の近くだから、いろんな人が来たな。

 

 次回そんなお話もしますね。

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