エッセイ

初デビューはホールで、バックバンドはびっくりするメンバーでした。

駒沢大学のジャズ研に入ったことは、雷のように落ちてきた初恋の章でお話ししました。私にとっては、初めてのお酒も泥酔もこのジャズ研で経験しました。
そして、たった1回の結婚もここで出会ったわけです。

大学1年生の秋のジャズ研のコンサートは、青山タワーホールで行うことになりました。「お前司会やってくれ」と言われて、なんで1年生の私が?って思いましたが、引き受けました。ゲストはレコードでしか聞いたことのない、大物ミュージシャンたちでした。当時は渡辺貞夫バンドの登竜門といわれた鈴木勲カルテットでした。私もレコードではよく聞いていたので、名前はよく知っていました。バンドメンバーは当時天才的新人として頭角を現し始めた渡辺香津美(ギター)、河上修(ベース)、守新治(ドラム)でした。

楽屋に司会者としてあいさつに行くと、「誰か歌えるヤツはいないか」と言うので、「私、歌えます」ととっさに答えてました。「それじゃ、2曲ぐらい歌え」「はい」。それが発表会以外で初めてのステージでした。
終わってから楽屋にお礼に行くと「お前、面白いから、俺のバンドに入れ」って言われて、また「はい」。何度かそのメンバーのバンドで、ジャズライブハウスで歌わせてもらいました。

ライブハウスで歌うとお客様の雰囲気が引いていくのがわかりました。自分がこんな素晴らしいバンドで歌うなんて早すぎると、だんだんと恐怖心にかられるようになりました。

「勉強し直します」と鈴木勲さんに言ったところ、「それじゃ、俺の知ってるライブハウスに預けるから」と言われ、当時、青山にあった、ジャズハウス「ロブロイ」に預けられました。作家・安部譲二さんのパートナーであったママのお店で、素晴らしいジャズ・ミュージシャンたちが毎日のように出演しているお店でした。ママからピアニストの中富雅之さんに預けられました。


 

30代後半のみどり@赤坂POPO
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