エッセイ

母のこと~アルツハイマーと音楽

母は60代後半からアルツハイマーになりました。後半4-5年は娘のこともわかりませんでした。しかし父の手厚い看病のおかげで、それから10年ほどを生き抜きました。
多発骨髄腫でした。亡くなったころには小脳が普通の3分の1くらいに委縮しており、よく生存していたと、医師に驚かれました。
言葉も話せず、食事も自分ですることも歩くこともできなくなっていましたが、父が童謡を聞かせると、不思議に歌詞を覚えてちゃんとした音程で歌っていました。それには私も驚きました。そんな母を見て、音楽の力を感じました。

父は本当によく母の面倒を見ました。私が突然見舞いに行っても、いつも母の横で手を握っていました。デイケアには手作りの弁当を持たせ、洗濯はきれいにアイロンをかけ、お節料理まで作っていました。それは父の最後の償いでもありました。

父と母は松下電器の同僚として知り合いました。よく働くのでみんなから可愛がられていたようです。社内の合唱団に入り、ふたりはお互いを見初め、父方の旧家としては珍しく恋愛結婚でした。母はおおらかな実家から、堅苦しい旧家に嫁ぎ、かなり苦労したようです。東京に出てからは親子4人の生活で、母は趣味として書道を始めました。書道は母にとって一生のものになりました。アルツハイマーになっても近所の子供たちがサポートしてくれて、書道を教えていました。

父は仕事に熱心でしたから、家にはあまり帰らず、母が盲腸で苦しんでいるときも誰も助けがありませんでした。そのうちに父の浮気が発覚し、その関係は長い間続きました。母は父に心を閉ざし、家の中ではいつも夫婦喧嘩でした。帰ってこない父に対して兄もいつも怒りをぶつけていました。兄としては母を守りたかったのでしょう。

母がアルツハイマーになってから、たくさんの話をしてくれたことがあります。私のことはわからず、女学生のころのことを話してくれました。カトリック系の女学校に通っていた母がその時代のままに生き生きと話してくれました。父と母の蜜月は晩年、母が何もわからなくなってから続きました。

今日は若いころの母の写真をお見せします。そしておまけは私が小さいころからテレビから離れられない証拠写真。

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