エッセイ

祖父:岡本勇治という植物学者について

昔話のブログのアンコールをありがたくもいただいているので、久しぶりに書こうと思います。うんと時代は遡って、父の父、つまり祖父の話。

祖父は39歳で亡くなりました。父はまだ9歳で家督を継ぐことになったそうです。
植物に興味を持ち、日本の植物学の父でもある牧野富太郎と共にも活動をしました。牧野氏の紹介で植物学者として阪大でも教鞭をとっていたようですが、フィールドワークが主で、登山ばかりしていたようです。自宅にいるときは、ドイツ製のペンで植物画を描いたり、採集した植物の整理をしたりしていたという話を聞いたことがあります。

奈良・大和近辺の植物を研究し、「大和植物誌」を編纂。植物画はかなり信頼のおける腕前だったようで、牧野富太郎氏の著作にも書いているようです。
父の活動していた大正時代に、バスを観光のため、熊野近辺に走らせる計画があり、「そんなことをしたら自然体系が悪影響を受けてしまう」と政府にも抗議をし、バスは規制地区のみの走行となったそうです。そんな、現在の自然を保護した功績があります。

「岡本勇治」としては、奈良の八重桜を発見したことでWikipediaなどにもその名前をみつけることができます。
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《1922 年に東京大学の植物学者であった三好学が東大寺知足院の裏山に植わっていた特徴ある八重桜を岡本勇治の案内で視察(調査)した(三好の岡本への追悼文より)。小清水は1922年4月に三好が発見したとするが、三好の論文の掲載号はこの年の1月である。三好は論文で産地として「京都と奈良」をあげている。ナラノヤエザクラは岡本勇治が大正10年頃(この年に三好が来県しているので早い月か前年)に天然記念物指定申請をおこなっている。
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抜粋:大安寺で「奈良の八重桜」を発見! https://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4c72fc5b8f5ffbc7b3244671877ad64b

今回は自分にとっての備忘録でした。
写真は「大和植物誌」から。もう一枚はおまけ。私です。なあんだ、Facebookのプロフィール写真とあまり変わっていない。

岡本勇治と大和植物誌原本

牧野富太郎氏からいただいたというおそらくメンデルのレリーフ

これはおまけ。みどり5歳頃。このころは、三国廉太郎さんが以前住んでいた家に住んでいて、これはその庭でのショット。

みどり30代後半

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