エッセイ

わかれ道は突然やってくる-12

12.活発ながんの進行とおいかけっこ

4月の脳腫瘍の手術後、しばらくはあまり問題のない毎日を過ごしていた。
6月に入ってから、背中と腰が痛いので、がんセンター、ガンマセンターの診察でもその旨を相談した。
CT,MRI,レントゲン検査でも原因はわからないという。

6月17日金曜日の夜からその痛みはひどくなり、寝ることもできず、悪夢のようにもがいていた。
どのくらい、もがいていたのかわからない。とにかく長くて終わらない夜だった。
頭はグラグラして、意識が遠のいていく。

携帯電話が何度も鳴った。出たいのだが、身体が動かない。
今度は固定電話が鳴りだした。もちろん起きて電話のところまで行くこともできない。
しばらくしてドアフォンが鳴った。
私にとってはそれは夜中の4時くらいのイメージだったから、怪しい人がドアの外にいるように思った。
そのうちにドアを叩く音がして、ドアが開いた。
なんとポコちゃんと魔人屋の若い常連2人がそこに立っていた。
私は痴呆老人のように、突っ立っているだけだった。

「みどりちゃん、大丈夫?どうしたの?もうライブの時間過ぎてるよ」
時計を見るとすでにライブ予定の土曜日の夜9時前になっていた。
「みどりちゃんが連絡もなしにライブに来ないのはおかしいと思って、来てみたの」
「ライブだけど、大丈夫?」「うん、着替える」と着替えて、タクシーに乗って魔人屋に。
ドアを開けると、常連たちが出てきて「みどりちゃん、大丈夫?ああ、顔が見れてよかった」と大歓迎を受ける。
すぐにステージを勤めた。頭はグラグラしたままだったが、どうにかピアノは弾くことができた。
「具合悪いのに、ピアノは弾けるのね」「うん、脳、使ってないから」
その日はポコチャンが、タクシーに私を乗せて、マンションの玄関口まで送ってくれた。


症状としては痛みは別としても、昨年経験した一過性脳虚血に似ていたので、ガンマナイフセンターに電話をした。
翌週、定期的なMRI検査が入っていたので、それまでは安静にしてその日を待って、検査を受けた。
「これは脳が腫れちゃって、脳ヘルニアを起こしてもおかしくない状態だね。明日入院しましょう」
2日だけ待ってもらって、6月25日にまた入院、翌日手術をした。
「今回は大きな脳腫瘍で1回の手術では取れないので、10回にわたって手術をします。
いろいろな医療機器が揃っている静岡の病院に入院してください」


そのまま29日にガンマセンターの院長がやっている静岡の病院に移転した。専用の車に乗っての楽な移動だった。
すぐにいろいろな検査が始まった。レントゲン、CT、MRI、もちろん血液検査など、ありとあらゆる検査がスムーズに行われた。

まずは全身PET。これは腫瘍の転移を確認することができる。
この全身PETでかなり多くの転移が見つかった。
特に先日痛かった背中と腰は骨に腫瘍が転移していて、それが原因だったことがわかった。
また、骨からリンパ腺にも転移していた。

放射線治療は3カ所、脳腫瘍、腰椎、骨盤の3カ所を10回ずつ受けた。
その間に温熱療法、高気圧室治療、運動リハビリ、それに脳の腫れをおさえる点滴を受けた。
毎朝、謎の高温が出た。39度のこともあれば、38度のこともあり、感染症の専門医による血液検査を受けたが、なかなか原因がわからず、結局は腫瘍による発熱だったようだ。
その間、1か月の間、麻薬パッチを胸に貼った。痛みを少しでも軽減するものだった。
それに加え、モルヒネ(オキノーム)も自分が痛い時には遠慮せずに服用してよいと言われた。1日3回程麻薬系の薬で痛みをコントロールした。

約1か月毎日忙しい治療スケージュールをこなしたが、それを過ぎるとあまり治療もする必要がなくなった。
30回にわかる放射線治療のおかげで、背中と骨盤の痛み、頭のぐらつきなどが改善された。
退院時期を院長に尋ねるが、「家に帰っても一人暮らしでしょ?何かあったときどうするの?それが問題なんだよ」

病院側は入院保証人である兄に連絡を取ったが、連絡がつかない。
そこで、ポコチャンの連絡先を教えて、彼女と連絡を取ってもらった。彼女は一つ返事で承諾してくれた。

40日の入院後、やっと退院。
ポコチャンは築地のガンマセンターまで迎えに来てくれて、先生や看護師さんからの説明も受けてくれた。

帰宅後は山のような郵便ポストにたまった書類の処理、それに不在中に腐ったゴミの処理など、やることが山のようだった。
だが、長期間の入院生活で足の筋力が衰えていて、立ったり座ったり歩いたり、すべてがぐらつく。
まずは医療関係の書類の処理。医療保険から国保関係など、かなり面倒なものも多くて手間取った。
冷蔵庫の中の野菜もさすがに1か月以上経っているので、ほとんど処理をすることになった。
ぐらつく身体でゆっくりゆっくり整理をしていった。

かかりつけの国立がんセンターに退院を知らせると、4日後には診察に来てくれということだった。
検査後、「今の抗がん剤があまり効いていないようなので、まずは入院して新しい抗がん剤を試してみよう」という意見だった。
翌週から1週間の予定で入院したが、初日に検査したCTであまり問題がないので、とりあえずこのまま今の抗がん剤を続けることになった。
入院は5日間ですぐに退院できた。

その時も帰宅後一人暮らしで誰も面倒を見る人がいないことが一番問題になった。
専門家と相談し、地元の地域ケアセンターと連絡を取ることになった。
終末期医療の病院の一覧も教えてもらって、もう治療法がなくなったときには、そんな病院に入ることも頭に入れておかなければならない。

6月25日に静岡に入院し、8月5日に退院。8月15日から19日はガンセンターに入院。
やっと8月後半から自宅療養が始まった。地元のケアセンターにも連絡し、説明を受けた。

なにより頼りになるのが、ポコチャンだ。
「まだひとりで出歩くのは危険だから、なにかあれば、私がすぐに飛んでくるから連絡ちょうだい」
「毎日、生存確認のために電話するから、面倒くさいと思っても電話に出てね。電話にでないようだったら、すぐ飛んでくるから」


ざらっと今までの状況を説明したが、正直なところ、今後私のガンがどのようになっていくかはわからない。
ガンの進行は血液検査でも活発になっていて、どこに転移してもおかしくない。

でも、10月から通常営業を再開することを決めた。
おなじ残された時間であれば、できることをやっておきたい。

レッスンを休むことも理解してくださったレッスンの生徒さんたちにも会いたい。
魔人屋のライブでポコチャンの伴奏にも復帰したい。
足の筋力が戻れば、逢いたい人にも会いに行くことができる。
食欲がもどれば、気兼ねない友人たちとおいしいものを食べることもできる。
そんな今まで当たり前だったことが、今の私の夢だ。

魔人屋入院前-ポコチャンとみどり

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